Labo-A作品03 『Take Off 君の夢が聞こえる』あとがき Topページ
 最後までご覧いただき、ありがとうございました。ここでは『あとがき』として作品に関わる事柄を少々記してみました。よろしければ、もうしばらくお付き合いくださいませ。
 なぜ歴史に記されていないのか?・この物語の後日談
 この物語はフィクションです。事実ではありません。しかし、もし実際に『こんな事』があったとしたら、必ず歴史に残ってしまうのでは?…と考えた人もいるかもしれません。なぜ歴史に残らなかったのか? 作品制作の時、後日談として大雑把ではありますが考えていたエピソードがあります。
後日談
 初飛行には成功しましたが、軍の威嚇射撃を受けた飛行機は再び飛べる状態ではありませんでした。特にエンジンは完全に壊れ、新しいエンジンが必要となりました。  
 志織の父は、成功はしても娘に怪我をさせた飛行機の危険性は払拭出来ないと、成功後に考えていた飛行機の量産を取りやめてしまいます。一方、望月少将は、飛行機徴収の失敗の責任と、志織の父の「その国のための軍隊が、その国の民の味方になれないでどうする。それを忘れた軍隊は、自らの国を滅ぼすぞ」の言葉への自省から軍を除隊し、陸軍は飛行機に関心を寄せなくなります。  
 幸吉は、自分の力で再び飛行機を造ろうと資金集めのために働き始めましたが、当時まだ珍しい石油発動機(ガソリン・エンジン)はとても高価な物。購入資金をためるには何年もかかります。兄・文明も協力をしますが、財閥や軍隊のような大がかりな援助はできません。  
 やがて日露戦争が勃発、我が国は当時世界最強といわれたロシア軍と戦い、辛うじて勝利します。望月少将の予測通り『旅順要塞』は実際に大激戦地となり、日本軍は多大な戦死者を出しながらこれを陥落させました。多くの犠牲を強いられたのは、要塞についての情報不足が原因の一つといわれています。  
 「もし自分が軍に協力し飛行機を戦争に使っていたのなら、被害はもっと押さえられていたのかもしれない。それだけ死傷者が少なくてすんだのかもしれない」と考えた幸吉は、自責の念から成功の事実を封印し、飛行機の制作を中止していまいました。そして志織も、そんな幸吉を気遣い、頬の傷跡の理由を決して語ることはありませんでした。
 後日談としては、ちょっと悲しいエピソード。日清戦争で父を失い「他人の命や夢を奪う戦争に、オレたちの夢を使わせたくない」と協力を断った結果がこれでは、少々残酷かもしれません。
 もっとも、ライト兄弟が初の有人動力飛行に成功したのは1903年。日露戦争終結は1905年。2年の間があります。ライト兄弟の成功の報が世界を駆けめぐったとき、幸吉は「オレの方が先だ!」と名乗り出たのかもしれません。しかし「外国人にできない事が日本人にできる筈がない」というのが当時の日本の風潮でした。名乗り出たとして、どれだけの人が幸吉の言葉を信じたでしょう。  
 「本人が語らなくても目撃者がいるじゃないか」…とツッコミはしないでくださいね。ラジオもテレビもインターネットもなかった、情報伝達環境が現代より遙かに劣るご時世。現実にヨーロッパでもライト兄弟の成功のニュースは正確に伝わっていなかったため、ブラジル人のサントス・デュモンが、1906年にフランスで自作の飛行機で60メートルを飛行した時、ヨーロッパではこれが世界で初めて動力飛行であると認定され、ライト兄弟がフランスで実際に飛行するまで彼が世界初と信じられていたのです。本人が口を閉ざせば、目撃者の証言も冗談や作り話にしか聞こえなかったと思います。
 彼の夢は聞こえず・世界初の有人動力飛行に挑んだ日本人
 この時代、実際に世界初の有人動力飛行に挑んだ日本人がいます。二宮忠八(1866〜1936年)です。  
 1891( 明治24)年、当時陸軍に所属していた忠八は、カラスが羽根をひろげて滑空している姿をヒントに、ゴム動力の模型飛行機『カラス型』を作り、飛ばすことに成功しました。その後、実際に人が乗る動力飛行機『玉虫型飛行器(忠八は飛行機を「飛行器」と記した)』を設計し、陸軍にその開発を協力してもらおうと設計図と上申書を提出しました。飛行機の軍事利用の利点を訴えたのですが、断られました。「外国人にできない事が日本人にできる筈がない」という、前述した当時の日本の風潮。これが断られた理由でした。
 この作品とは全くの正反対。幸吉には陸軍からアプローチがありました。しかし、これは飛行機が当たり前に存在する現代に暮らす私が考えた物語だから…に、ほかなりません。「人が空を飛ぶなんて、奇跡が起こらない限り無理」と思われた時代の人々に、飛行機の有効性や活用性など、わかるはずがありません。飛行機そのものが理解されなかったわけですから。
 「ならば自分の力だけで…」と忠八は軍を除隊し、7年間制作資金を貯めるために働きました。すでに機体は完成し最後の難門であったエンジンの購入資金も整った時、ライト兄弟が世界初の有人動力飛行に成功。彼の夢は終わりました。忠八は失意とショックで『玉虫型飛行器』を壊してしまい、以後飛行機制作をいっさい行わなかったそうです。「初の国産有人動力飛行機による飛行に成功」でも充分偉業だと私は思うのですが、それでは忠八は満足いかなかったのでしょう。
 二宮忠八が設計した『玉虫型飛行器』はとても優れていたそうで、1991(平成3)年に復元され動力をつけての飛行に成功しています。ひょっとしたら「世界初の有人動力飛行に成功したのは日本人」となった可能性はあったのです。望月少将のような人がいたら、歴史は変わっていたかもしれませんね。
 ところで、作品には紙飛行機が登場しますが、これを最初に開発(?)したのは誰なのでしょう?「紙飛行機」と言うならば、飛行機が開発された後だと思うのですが…。
なぜ『君の夢が聞こえる』なのか?・サブタイトルに秘められた作者の野望(笑)
 この作品には『君の夢が聞こえる』とサブタイトルがついています。これは、私が10年以上の長きにわたってファンだった、2002年に引退された歌手・吉田真里子さんの曲のタイトル(作詞・和泉ゆかり 作曲・武部聡志 敬称略)です。真里子さんは1988年に、いわゆる『アイドル歌手』としてデビュー、1994年に個人事務所を設立しインディーズでの活動を続けていました。
 作品のテーマを支えるセリフ「信じる心は奇跡をおこす」は、真里子さん初の自作曲『未来(あした)』の歌詞を引用させていただいています。また、志織のセリフ「(私の知っている、私の好きな幸吉さんは)いつでも未来を見つめ、瞳を輝かせていた」もこの曲からの引用です。オリジナル版制作当初の構想では物語を支える芯(テーマ)もなく、ただ日本人がライト兄弟以前に有人動力飛行に成功するだけにすぎませんでした。「このままじゃつまらん」と考えていた時、ちょうど発表された曲が『未来』でした(この曲は当時CD化されておらず、ライブビデオにのみ収録)。「これは使える、いや、ファンとして使わなければならない!」と思い、勝手に引用してしまいました。実際、このおかげで物語に一本の柱ができ、話が分かりやすくまとまりました。オリジナル版は某漫画雑誌の新人賞に入選し、その雑誌に掲載されました。真里子さんには勝手な事をしてしまったお詫びとお礼を兼ねて、新人賞の賞金でちょっとしたプレゼントをしました。それで許してくれたのかどうかは疑問ですが、何もお咎めはなかったですし、これをきっかけに私の顔と名前を覚えていただけたので大成功!…じゃなくなく、大丈夫だったと思います。…というか、ほとんどこれを狙っていたのかもしれません(笑)。  
 話が前後しますが、『未来』の歌詞引用で物語を作り直し原稿製作に取りかかると、新たな野望…ではなくなく、気になりだしたことがありました。それが『君の夢が聞こえる』です。これは真里子さんがアイドル歌手だった頃のアルバム『ポルトレ〜肖像〜』の収録されている「夢を追う人を称える」内容の曲で、「吉田真里子のために作られた曲」では私が一番好きな曲でもあります。物語のテーマにふさわしいと思い、オリジナル版ではサブタイトルとして使ったのみですが、今回リメイク版では最後のこだわりとして、各編冒頭に歌詞を添えてみました。  
 『ポルトレ〜肖像〜』をお持ちの人は(あるいはインターネットで検索をして)飛行機が離陸する後編P.34あたりから『君の夢が聞こえる』を聴いてみてください。ラストシーンの志織のセリフが真里子さんの声で聞こえると思います。
 最後に…・この作品を超えることは出来ない
 今回『 Take Off 君の夢が聞こえる』の制作には、2002年1月に予告イラストを載せてから(もちろん全く手をつけない時もありましたが)約4年半を費やしました。オリジナル版は15年前に某週刊少年雑誌に掲載されましたが、その後「いつか完全版を描くぞ」と構想を練り、資料を少しずつ集めてきました。そのオリジナル版も、元は小学生の頃に「ライト兄弟以前に飛行機を造ったと言い伝えられている人がいる」とあるテレビ番組で見たことを高校卒業直後に思い出し、「だったら日本に居てもいいじゃん(その時は二宮忠八のことは知らなかった)」…と物語を考え出したのが始まりです。  
 この作品は、私にとって特別な作品です。オリジナル版による、わずか一瞬の「漫画家」になれた夢の実現。その夢に疑問を持ち歩みを止めた後、それでも好きなことだけは誰にも譲らず続けようと、このサイトを立ち上げ満を持してのリメイク版制作。また、その夢を追いながらいつも聴いていた真里子さんの曲を絡めるなど、ほかにも自分のやりたい事をやり付く尽くした…、そんな作品です。この先、何本の作品を描いても、これ以上の作品は作れないと思います。  
 もちろん話作りや画力など技術的な向上は今後もある(?)でしょう。おもしろいもの、完成度の高いもの、万人が高く評価をしてくれる優れた作品をひょっとしたら描けるかもしれません。しかし「思い入れ」という点では、この『 Take Off 君の夢が聞こえる』を超えるものは作れないと思います。それだけに完成した今は、自分の中で一区切り付いた達成感、もし何らかの事情で二度と漫画が描けなくなっても悔いはないという満足感があります。「この程度が限界かよ」と笑われるかもしれませんが、自分にはそれだけ大きな作品になりました。
 なんだか最終回のようなことを書きましたが、近いうちに次回作の構想・制作に取りかかります。何年先の完成になるか分かりませんが(爆笑)、その時はまた目を通していただけたら嬉しいです。
 最後まで読んでいただきありがとうございました。
2006年8月23日
設定集 
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